二十四節気の芒種 (ぼうしゅ)到来に思う

昨日から二十四節気では芒種(ぼうしゅ)

梅雨らしいジメジメした日がはじまり
イネや麦など芒(のぎ)のある食物の種をまく時期であることが由来だそうです

飲食経験者ならよくある話ですが、料理人との関係性は難しく、私も最初の2~3年は悩みました

職人というのは私のようなサラリーマン、いわゆる組織にいた人間と考えの違う点もあり、自分たちの考えを曲げないところがあります

何度か衝突(いわゆる口論)したこともありますが、最後に相手からついて出る言葉が「だったらあがります」これが彼らの決まり文句

作り手がいないとサービスが始まらないのが飲食で、そうなるとこちらも折れざるを得ません

そんな時、あまりにも困り果てて相談した方から教わったのが「二十四節気(にじゅうしせっき)を学びなさい」ということでした

そんなことがキッカケで興味をもったわけですが、料理人と平穏な関係がつづけば、学ぶことを忘れる

また険悪な関係になれば又二十四節気を学ぶといった、なんとも熱しやすく冷めやすい状況だったのであまり身にはなってません

ですが、今改めて感じるのは通常のカレンダーで数字と曜日を意識するだけでもなく、大安、仏滅、赤口のような六曜とも違い、自然を感じ何となく気持ちが落ち着くので意識します

ちなみに、芒種(ぼうしゅ)が6/20(月)で終われば、6/21(火)からは夏至です

今年2022年ももうすぐ、半分が過ぎようとしてます。

種をまく時期である芒種

何かこれからの為にやり始めてみるのもありでしょう

雨の日こそハレ気分で

せっかくの日曜日、見上げればどんよりした今にも雨が降り出しそうな空模様

山口県全域は雨模様

梅雨入りしてもおかしくない時期でもあり、そんな天候です

人は暗いニュースを見れば気持ちが落ち込み、戦火の状況が報告されれば心が痛み、目からの情報でたえず気持ちが左右されます

同じように天気がどんよりしてれば気持ちもやや下がり気味・・・とこんな感じになり勝ちです

かといって無理してから元気を出せば、かえってその反作用がきてよけいむなしくなったりとホント人の気持ちの在り方って一筋縄ではいかないものです

1.視覚情報から気持ちを変える

そんな時こそ、おススメしたい提案が天気が悪い時こそハレの気分で!です

ハレ=晴れではなく、ハレはめでたい日、お祝い事のような日を言います

えっ⁉ そんな乱暴な…と思っても大丈夫です

人は入ってくる情報で8割以上が視覚からなのです

なので、ちょっと贅沢してみたり、記念日に言った場所を訪ねてみたり、いわゆるハレの日にする(した)ようなことをやってみるのは如何でしょうか?

気持ちも上向き、なんとなくいい気分になれるハズです

2.ネガティブな情報が入ってきたら

でも~外に出れば、また雨ですよねぇ・・・

さて、ここがポイントです
例えば外食をした後など、その嬉しい気持ちのまま、その日を過ごすことです それも自然体に

いい気分のまま、一日を過ごす

だってそうですよね
「やまない雨はない」って言います

ちょっとした視覚からの情報で気持ちを切り換えてみることをおすすめします

いい休日をお過ごし下さい

整理整頓そして収納

今月初めに、整理収納の無料講座を受講しました

あれ?整理整頓では??と思わるかもしれません

整理整頓、片付けと言えば「断捨離」のやましたひでこさん

又ときめくモノかどうかで取捨選択をする「こんまりメソッド」の近藤麻理恵さんなどが有名です

今回の講座を担当してくれたのは日本ではじめて整理収納という概念をつくられた飯田久恵さんです

何故?受講したのか?っていうとホントここ数ヶ月、片付けることに追われていたからです

3月末で会社は営業を終了

5月に入ったかと思えば父親が亡くなり今度は実家の片付けなどなど

もともと整理整頓などできる方ではなく、でもA型の性格から一応は几帳面でキレイ好き

この矛盾も埋めたく、また無料でもあったので受講しました

1.まずは整理の捨てることですが

整理:いらないものを捨てる
整頓:本来のあるべき場所へ戻す

整理が捨てることで整頓が整えることで、いわゆる片付けです

ですが、飯田さん曰く
「整理と整頓の間に収納が必要です」

??収納って片づける事では・・・

2.収納とはモノにとっての指定席を決めることから

収納とはモノの指定席を決め、出して使ったらその場所へ戻す

つまりモノをスグ出してスグ戻せる場所=指定席なのです

歩数+工数(アクション数)=収納指数

このように定義されてますが、難しい事ではありません

極力少ない動作で出し入れ可能な場所はどこか?

その指定席なる場所を決めることが大事という事です

3.100円ショップでついつい無駄なモノを買ってしまいます・・・

よくある、アルアル話しではないでしょうか?

私もそうです

「安いから」とか「あった方がいいので」などでついつい買ってしまいます

よく言う「投資か?消費か?浪費か?」これで考えるのもありですけど、飯田さん曰くモノを持つ基準を自覚することといいます。

とりあえず買っておこうでなく、今本当に必要か?どうか?

買う前に同じようなモノが家にないか?など

まずは要らないものを処分⇒必要なモノだけ購入するのです

4.部屋の散らかり具合は心の乱れ

アスリートでも勝ち負けのかかる大勝負で左右するのはその時のコンディションです

日々、試合の繰り返しのような経営者にとって部屋を片付けるというのは簡単なことで見落としがちな事

そして部屋をいい状態に保つというのは自身のコンディションを保つうえでも大切な事です

そんな意味でも日々のブログ

負担になる時も無きにしも非ずですが、心のコンディショニング、内観するための大切なルーティンとして日々書いてます

続けるという事に集中しすぎた結果・・

ここ1ヶ月、毎日花に水をあげてます

切り花なので、いずれ枯れてしまうのですが、1日でも長く咲いていて欲しいという、そんな思いから習慣化しました

しかし、毎朝水をあげるのですが、今日に限って忘れてしまい、昨日はまだまだきれいに咲いていた花々がぐったり、中には茎が折れたりと、たった一回忘れただけでこうも違うのか?と驚きです。

夕方気づいて水をあげたものの、時すでに遅し・・・・

花なんて数か月前は興味も何もなかったのに、本日は反省の念を含めこのブログを書いてます

自分の事ばかり、一生懸命になり、周りの事を忘れてた
まさにその結果です

このことを考えると、私以外にも自分の、イヤ自社の事しか考えてない人間も多い?のか(特に大手)

本日はそんな人から嫌~な☎がかかってきました

これも又、何かに気づけといったことかもしれません

そこで気づかなかったから、目に見える大切な花の姿をして気づかせた

そう思ってます

続けるということは大切な事です

ですが、ここに集中しすぎて、周りのことを考えず、かえりみず、忘れてしまってはいけません

続けると言えばこのブログもしかり

これを優先し、従業員とのそして家族とのコミュニケーションが疎遠になった時も、もしかしたら自分が気づかないだけで今までにあったのかもしれません

花に水をあげる習慣が途絶えて、たった一回なのに花自体の元気さが失われる

もしかしたら、このブログも辞めてしまったら自身の体調もおかしくなるか??

イヤそんなことはないでしょうけど、続けることを優先しすぎて、周りに気配り、目配りが行き届かないことにならないよう、歳も歳なので落ち着いて俯瞰しブログを続けます

運動部活、休日は地域委任で進むのか?

今朝の新聞にスポーツ庁が学校の部活動を休日は民間の団体に委ねる方向性の記事

学校(この度は中学校)の先生の過重労働は聞いたことはありますが、その現場は知りません

しかし、休日だけでも民間団体、つまり学校の先生が教えるのでなくその専門の方が教えるのは賛成です

私もかつてスイミングクラブで選手育成コースを教えていたのでわかりますが、民間のクラブに通っている選手の方が好成績をおさめてました

理由は練習量の違いが一番大きいのです

例えば受験で学校だけで学ぶより、学校+塾で学んだ方が一般的のは有利と言えるのと同じようなものです

しかしながら単純に勝ち負けを競うだけでなく、様々な指導者から教わることは生徒にとってもイイ経験だと考えます

このことに関しては様々な見方や考え方があり、とても1日のブログの記事ではおさまらないかもしれませんが、この流れ「公学⇒民へ」は必要だと感じます

私もこの15年間は行政との関りもあり特に「公⇒民」へうまく引き継がれないものか?を考えたことがあります

特に行政のやることは無料なり低料金で参加できる、いわゆる参加する敷居は低いものの予算がなくなればそこで打切り、継続性に欠けます

一方、民間はどうしても採算・収支の問題があります

そんなことを含めて考えたときに、この度の中学部活において、平日は学校の先生が教え、そして休日は民間の団体ないし指導者が教えるのは興味深く、ぜひ方向性になり競技力向上へ繋がれば嬉しいものです

そして私たち民間も公から情報や話が来るのを待ちの姿勢でなく、常に情報を取りに行くことが必要です

自分が何ができるか?をしっかりと行政側担当者に伝え、コミュニケーションが大切です

国は「2025年までに行政が計画を策定し・・・」と在りますが計画策定の段階で民間の団体や指導者が参加されるのが望まれます

それもできれば、行政側や民間側も有志であれば、なおイイ訳です

もしかしたら、この分野でも自分ができることがあると今朝の新聞を読みながら感じた次第です

日本最後の清流でわかる言葉の力

車で川沿いを走ると、他県ナンバーの車が目立ちます

そうです
明日よりアユ釣りが解禁となります

山口県内で一番長い錦川
その最大の支流は宇佐川です(写真上)

河川環境類型AAを取得するまさに
清流中の清流です

(宇佐川の透明度)

よく四国土佐の四万十川が日本最後の清流と言われますが、日本全国を探せばまだまだ知られてない清流はあるハズです

しかし、清流といえば四万十川を思い浮かべるのは何故でしょうか?

全国には四万十川に匹敵する、もしくは上回る清流があるにもかかわらずです

それはやはり「日本最後の」この言葉が大きいです

(清流・四万十川)

「日本最後の」でTVで放送され、全国にその名が知れ渡ったようです

さらには沈下橋もおおく、流域では川漁をしたりと生業も行われているなど見どころも多いのです。

それに比べれば、宇佐川は距離も四万十の10分の1以下です

川の透明度、美しさは四万十を上回る宇佐川

それは全国利き鮎コンテストで2度のグランプリが証明してます

なのに何故、清流=四万十川なのでしょうか?

そこには、やはり「伝える力」が大きいのです「日本最後の清流」

これが日本最大でもなく日本最長でもなく、最後という言葉にインパクトがある訳です。

例えば、もう閉店するというデパートの最終日
多くの人が思い出を惜しんで店をしめるシーンを思い浮かべて下さい

最後だから人はその言葉に特別な感情を抱くのでしょう

宇佐川と四万十川を比べた時、写真で見ただけなら宇佐川の方が清流としての美しさは勝ります

しかし現実は、清流といえば四万十川

ほんと言葉の力伝える力を実感します

私が書くブログもやはり、言葉の力に頼ることは多いのです

しかしながら煽りすぎても、また過大評価をし過ぎてもいけない

そんな意味でも四万十川を最後の清流と呼んだ方には敬服するだけです

言葉の力は奥が深い、どのような言葉が人の琴線をならすのか⁉

読書とこのブログを書き続けることで、日々是学びとなるわけです

晦日詣で(みそかもうで)行かずに感じることと伝えたいこと

5月も残すところあと一日

月末になると何かと慌ただしくなるものです

そんな中、今までは仕事の忙しさに流され何度か?忘れたことがあった晦日詣でですが、本日はその日でした

ですが行くのをやめました
正確に言えば見送ったというか見送らざるを得なかった

それは忌中(きちゅう)だったからです

あんまり気にしないようにとは思って見たのですが、ダメでした
49日が過ぎるまでは神様へのお詣りは控えるようにとのこと

今まで、新年の挨拶で「喪中により」とかいうと、そんなに気にする必要ないのにと思っていました

しかし、いざ自身が当事者になるとその気持ちがわかるものです

一般的には忌中や喪中に避けることとして当然ながらお祝い事がありますが、その中で「神社に参拝しないこと」があります

晦日詣でに関し、あれこれと自分なりに考えましたが、やはり通例に従って今月は取りやめです

しかしながら、そもそものお詣り、晦日詣では感謝の意を神様に告げるものです

なので、本日行けずに告げることができなかった分は、ご霊前でしっかりと伝えます

と、なんかスピリチュアルで読む人に不快感を与えてもいけませんが、ホント亡くなった父親には感謝の意しかありません

よく「安らかに眠ってください」とか言われますが、自分はこの度、そのような言葉をかけた記憶はなく

口をついて出てくる言葉と言えば「ありがとう」ただこの言葉だけです

今でも充分、充分すぎる程、亡き父親には感謝してます

なので、もしこのブログをここまで読まれ、お父さんがご健在なら、どうかしっかりと会話をして欲しいと心から思うのです

自分が父親と充分に話せなかっただけに、この思いはいつまでも残ります

もし私から皆さんにお願い事があるとすれば話せるときにしっかりと話し、そして聞いてあげて欲しいという事なのです

ボトルネックは何か?に気づける休日

社会人になって30年以上
ず~とサービス業に従事してきました

なので、あまり日曜日は休みという感覚はなかったのですが、それでも当時を思い出すと街の雰囲気や客層、さらに人の歩く速度まで

やはり平日と休日とでは違っていたのを肌感覚で感じてました

平日がONタイム 休日はOFFタイムであるわけですが、平日にできないことを休日に少し考えてみては?という本日のご提案です

私も以前に手帳を日々書いているお話をさせて頂きました

一度は書こう!とこのブログでも宣言しながら、書いたり書かなかったりで今に至ってます

改めて継続できないその原因を考えてみました

すると何となくわかってきたことがあります

それはToDoリストといって、やるべきことを書き出しそして終了したらチェックしていくとう項目があります

私の使っている手帳はチェックというより計画を立てて、それに沿ってやって行く感じです

さらに

・日々のToDo
・週ごとのToDo
・月ごとのToDo
・年間のToDo

このように分かれてます

うまくいかない原因は、以前の飲食宿泊時代のToDoのままであったということです

仕事における環境、生活環境、時間の在り方や使い方など以前とは違っている状況なので、こちらのToDo(≒ルーティン)も見直さないとイケなかったわけです

皆さんも時間があれば、本日の休日

なにかうまくいってない事やボトルネックとなっていることがあれば、少し考えてみると意外な部分に気づくことがあるかもしれません

それも、忙しい平日とは違って、少し時間がゆっくり流れる休日だからこそ気づけることなのかもしれません

仕事のある平日なら深く考えすぎてしまうかもしれませんが、本日は休日
肩の力をぬいて考えれるのがメリットです

いい日曜日をお過ごしください

人の気持ちを察する大切さ

久々に腹が立ったというか?
無神経はなはだしい一件がありました

本当は担当者と社名を出したいぐらいですが

まっ このブログはそんな目的の為ではないので差し控えます

3月末ごろの閉館するころから今に至るまで、改めてわかるのが「終えるべき人間関係と続けるべき人間関係」

人は立場が悪くなったときや苦しい時にそれがハッキリわかるものです

大手といったらすべて含むので語弊があるかもしれませんが、往々にしてその傾向が強いと捉えて下さい

私もかつて、在京時代は大手にいたので、いわゆる縦割り、コンプライアンス、組織を守ることが優先されてました

それが大企業を離れ、中小零細に
首都圏を離れ、地方の田舎へ

環境や組織が変わって感じることができた訳です

もちろん、大手には大手のいいところがあり、中小にも又、改善しなければいけない課題もある訳です

そんな中

私はこれから人を雇うでもなく雇われるのでもなし

店舗と在庫を持たずして店舗経営のお手伝いをするとうスタイルを掲げてます

本日の大手の電話の相手は、そこそこ親しくしてきた担当者からでした

電話に出てみると

「最近どうですか?しばらく連絡もしてなかったので」と、まずは軽い社交辞令

ですが、この時点ですでに何か求めてくるとは感じてました

話をしていると近況の話から仕事の話へ

内容は「在庫が残っていて、それも名入れしてあるから買い取って欲しい」ということでした

言ってることは、わからなくもないし向こうには向こうの言い分、さらに上席にも報告しなければいけない義務もわかります

しかし、こちらが「身内の不幸があって」と伝え、相手は故人のことを知っていてるにもかかわらず「買い取って欲しい」の一点張り

話は決裂

相手の状況を察するよりも、自分のことや自社のことを優先する大手にありがちな対応です

いつもながら思うのが、イイか?悪いか?ではなく「人対人」としてどうなのか?

また自身が今後、同じような立場に遭遇した時

組織人としてでなく人としての対応ができるか?どうか?を考えさせられた次第です

人を傷つけるのも、また人を癒すのも人とは言いますが、気づきを与えてくれるのも又「人」からです

事故を防ぐ為のその後の在り方、考え方

気温が上がるとビールの消費量も上がるのは知っての事でしょうけど

早速、水難事故のニュースが新聞に載っていました

どうしても夏に向かうこの時期から起こりはじめる

事故とは思わぬ時に起こるものです

私もこのブログで県内最年長のライフセーバーを目指すと宣言しましたが、ほんとうに水難事故から人を守りたいのか?

ただ自己満足の為に資格取得を目指すのか?いろいろと自問自答してみました

まだ、その答えは出てませんが、やはり事故を防ぐには

①危険な場所に近寄らない
②万が一の場合の対処法を学ぶ

この2つ、ともに大切な事です

私が目指すライフセーバーは通常は海難救助です

海での離岸流で沖に流されたり、溺者を発見して救助するサーフ・ライフセーバーを指しています

しかしながら、海と違い川も又、水辺の安全は大事となります

危険な場所を避け、万が一の対処法を知ることは海も川も同じです

そして、これらは事故と呼ばれるものには共通する重要項目と言っていいでしょう

例えば交通事故

危険な場所と言えば交通量の多く見通しの悪い交差点など

危険な場所は避けることが無難でしょうが、そうもいかない場合もあります

細心の注意をしてても事故に遭遇することもあるわけです

水難事故や交通事故ならある程度、危険を想定ができますが、これが対人関係における事故や経営に関する事故ならどうでしょうか?

往々にして事が大きくなってから気づく場合がほとんどだと考えます

なので、その予兆というか前段階の部分を知るというよりは、むしろ感じることが大切だと考えるのです

それでも時に取り返しのつかない事故もありえるのです

その最たるものが死亡事故

これは①の危ない場所に立ち寄りないや②の対処法ではあてはまりません

では、どうすればいいのか?といえばその経験を繰り返さない、2度と起こらないように細心の注意が必要なわけです

さらに避けられる事故もあれば、そうでない場合もあります

「起こったことはしょうがない」とよく言われますが、大事なのはその後の在り方、生き方、考え方となるのです