昨日、着替えようと思い、手に取ったTシャツの首回りが大分ボロボロになっていることにふと思いだすことがありました。
それは、そのTシャツに書かれている「1994 ホノルルマラソン フィニッシャー 」のデザインです。
つまり明日、12月8日に行われるホノルルマラソンの完走者にのみ渡される記念Tシャツ、自分がもらったのはもう25年前で1/4世紀となります。
今、改めて思うと嬉しいはずの記念Tシャツを複雑な思いで受け取ったことを思い出しました。
せっかくお金と時間をかけてハワイまで行くのだから、ぜひ自分とは違って楽しい思い出とともに記念Tシャツを受け取って欲しいと日本からエールを込めてお伝えします。
目次
1.なぜホノルルマラソンが始まったか?その表と裏の事情
もうかれこれ今回の大会で47回目を数えます。
大会ホームページを見ると、その開催のキッカケとして 心臓病のお医者さんの提案がもとだと書いてあります。
それは「心臓病のリハビリと予防のためには、LSD(長距離をゆっくり走る)、フルマラソンを走るのが良い」ということだそうです。
LSD懐かしい言葉です
ロング・スロー・ディスタンスの略ですが、マラソンのベースづくりとなるトレーニングですね。
しかしこれだけの、確かにハワイというロケーションを走るのもありますが、これだけで2万5千人近い参加者になるのでしょうか?
実は、冠スポンサーにJAL(日本航空)がついています。
つまり、JALがクリスマスや年末年始で賑わうこの12月の2週目は、ハワイは閑散期となります。
それにあてがってのイベントがホノルルマラソンなのです。
裏事情というと悪く聞こえますが、マラソンという競技のを含んだイベントとしてもうすぐ50回目を迎えるのはすばらしいことです。

2.棄権する8割が日本人・・・ふざけるな!
私がホノルルに参加した目的は、この一言を聞いたからです。
当時、市民マラソンやロードレースにでて、そこそこの記録をおさめていました。
・5キロ 17分台
・10キロ 37分台
・20キロ 1時間14分 このぐらいで走っていました。
月間300キロを目安にしていたので、フルマラソンは走ったことなかったのですが、単純に20キロの倍ちょっとだろうという軽い思いがありました。
3.10キロ、20キロのロードレースとマラソンは別の競技
20キロの倍ぐらいと安易に考えていたので、ペースも20キロと同じぐらいの1キロ4分を切るペースで走りました。
スタートして市街地を抜けるとダイヤモンドヘッドの上り坂があります。
実はここをどのように走るか?で後半が決まってきます
ここで頑張って走るとそのつけは後半に間違いなくきます。
もちろん、上り坂や下り坂の走り方はわかっていましたが、やはりフルマラソンは単純に距離が倍になっただけではないことが、ホノルルの初マラソンで痛い程、思い知らされました。
4.言葉の壁、ふくらはぎは悲鳴を上げ、散々な状態でゴールを目指す
20キロ過ぎたあたりで、トイレに行き、そこから全くのペースダウン。
前の人をどんどん抜いていくときは、気持ちも上がりますが、後ろから次々に抜かれると気持ちは垂れていきます。
さらに、前半の上り坂を頑張った分、自身の走り方はオーバーストライド(大きく歩幅をとるスタイル)なので、30㌔過ぎからはふくらはぎはケイレン状態・・・
途中、ところどころにサロメチールのような塗り薬が英語表記でおいてあるのが目に入りますが、数字が書いてあると有料か??とおもい塗りたいけど塗れずに、ただ歩くと同じスピードで、追い抜かれながらゴールを目指しました。
途中の撮影ポイントでは「スマイル(この英語表記はもちろん読めます)」とあっても笑顔はつくれず、最後のゴール前約2キロのハイタッチする人垣は、まさに生き地獄・・・。
5.ゴールしても悔しさより情けなさがつもる
直ぐに医療テントに行こうと思いましたが、人も多く、そして何よりも悔しさよりも、何の為にお金と時間を使ってホノルルまで来たのか?と今までのプライドがあり見送りました。
日本を離れる前に、職場のみんなが壮行式をやってくれて「ぜひ、完走して下さい」と ユニフォームまでプレゼントしてもらってたにもかかわらず、この結果というか不本意すぎる結果。
確かにゴールはしたものの、完全に走り切ったとは言えず、不完全燃焼な初マラソンとなってしましました。
6.イベント+マラソン+自分自身の目標
やはり、自己ベストやサブスリー(3時間を切る)を目指す以外は、イベントして楽しんだ方がイイのがホノルルマラソンです。
レースが終わってすぐ日本に帰る訳でなく、やはりハワイでショッピングや観光をして帰るので、足をひきづってでは何となく気がのりません。
自分の目標、それは観光でも完走でもホノルルマラソンではいいと思います。
苦しさよりも楽しさを優先してもらいたいです。