長州風呂ってご存知ですか?

山口に帰ってきました。

東京と違って緑も多く、三方を海に囲まれた山口は、やはり落ち着きます。

本日は、歴史と自分の思い出話ですが、ご存の方も多いでしょうが、山口県は江戸末期までは、長州(ちょうしゅう)と呼ばれ明治維新の立役者を多数輩出した件です。

薩長連合や薩長土肥(さっちょうどひ)など幕末は歴史に名を残した県ですが、現在でもプロレスラーとして活躍された長州力さんなど、まだまだ長州という言葉は耳にすることができます。

そんな山口県、長州ですが、その名を冠するお風呂があることお話させて下さい。

1.長州風呂なるモノは、五右衛門風呂とほぼ同じです

まず、皆さんがご存知の五右衛門風呂の名前の由来は、豊臣秀吉の頃の大泥棒、石川五右衛門が釜ゆでの刑に処せられたことに発します。

そしてこの度、取り上げている長州風呂も、今では五右衛門風呂と同じように扱われています。

長州風呂は風呂釜全体が鋳物ですが、五右衛門風呂は底の釜の部分のみ鋳物で浴槽に当たる側面部分は木枠で組んであったようです。

特に長州風呂(五右衛門風呂)は、釜の底で火を焚くことから風呂釜の鋳物が熱を持ち冷めにくいの特徴です。

2.長州風呂の思い出

私が子供の頃、(元々は、関東の茨城県水戸市で生まれ、小学校に上がる前に山口県へ家族全員で引っ越しました。)

今から50年近く前の話で半世紀を遡るわけですが、山口へ移り住んだ時は、約半数以上の家庭が長州風呂(五右衛門風呂)でした。

ところがこのお風呂、温まるのはありがたいのですが、足を延ばして入ることができず、子供でも膝を曲げて入らなければならない・・・結構窮屈感はありました。

さらに、一番困ったのは、釜の下で火を焚くわけですから、風呂釜全体が熱を持っています。

特に底は火傷の怖れも在りますので、木の四角い板を底板として沈めて入る訳です。

ところが、木の底板ですので浮いてしまいます。
なかなか沈められず、また入っていても底の側面あたりは熱かったので、落ち着かなかったのを覚えております。

その後、木の底板は丸いFRPの底板に変わり足で沈めなくても勝手に沈むようになり、そしてやがて各家庭から長州風呂(五右衛門風呂)は無くなっていきます。

あの当時は、藁ぶき屋根の家も珍しくない頃でしたが、50年も経てば世の中変わるものです。

さてさてこれから先の半世紀は、どのように変わるのでしょうか?
温泉は?お風呂は?

ただ言えるのは、お風呂や温泉は、シャワーと違いカラダを洗う為だけのところでなく、心もカラダも温まる日常生活には欠かせないものだと思います。

そして 昔を思い出せば 、便利になった世の中を当たり前と思わず感謝しないといけませんね。


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