空き家を見て感じる「人が住むという事の意味」

最近はチラシの配布や
お弁当の配達など

地域を歩いて感じるのは

空き家が多いことです

まだまだ住めそうながら
カーテンが閉まってると

「あぁ~ここは空き家だな」

残念にそしてもったいなく
思います

家も人間同様
生きていると考えると

このまま古くなり

誰からも見向きされず

家があることさえも
忘れられて…

なんか寂しいです

新築時は多くの人に喜ばれ
人が離れると寂しさが残る

私も幼いころ5歳まで

茨城県水戸市で
過ごしました

その当時は借家住まい

お風呂もなかったですが
不便さなど感じず

楽しかった思い出は今も
鮮明に残ってます

その後、埼玉の浦和、山口

大学と社会人18年間を
東京で

そして2017年より、再度
山口へ戻ってきました

今振り返って思うには
最初に住んだ家

それはいつまでも記憶の
片隅にあるものです

2004年の3月

母と妹と私の3人で
水戸の家を見に行きました

「もうとっくにないだろう」

3人ともそう思ってました

しかし現地ついて

ビックリ

人は住んで無くても
家は残ってました

とても人が住める様子では
ありませんでしたけど…


さらに話は続き
一年後の2005年

妹ともう一度、水戸の家を
見にいきました

しかし一年前に見た家は

あるべき場所に
見当たりません

場所が違うのか?
いやそんなはずはない

少しがっかりしながらも

妹には
「40年ぶりに住んでた人が
見にきて家も満足したんだな」

そう言い聞かせると
妹も小さくうなずきました

家も我々が来たことで
その役割に幕を下ろした

そう解釈してますし
そう思いたいのです

考えてみれば
家は何でも知ってます

泣いた事や笑った事など
住んでいる人の

喜怒哀楽をです

もうすぐ卒業式のシーズンです

人の一生には節目が
あるように

住み慣れた家にも節目は
訪れます

自分や家族をずっと
見守ってきた家

離れる時はやはり感謝し
離れたいものですし

そうして欲しいと
空き家を見て思うのです


家は生きている
人と同じように

住むことは大事

住まなくても節目は大切に
して欲しいです

今はひと気がなく寂しい家も
もしかしたら再び賑わいが戻り

家自体が、たとえ何十年

経っていても喜んでくれる

そのキッカケを増やす
ためにも

観光 健康 保養など

様々なモノを使い

この岩国市錦町に足を踏み
入れるキッカケづくり

それを創るのが私の仕事です



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