本日の学び「死は生なり」 二川正志アドバイザー

毎週木曜日は、経営者モーニングセミナーに参加してます。

本日の講和は、はるばる香川県より、一般社団法人倫理研究所の重鎮、二川正志(ふたがわ まさし)法人アドバイザーにお越しいただきました。

幾度の人の死に直面し、また肉親が九死に一生を得る貴重な経験をもとに、生きること、生きているということと生き抜くことを感じた体験をもとにご講和頂きました。

1.死の自覚があるか? 人は誰しも間違いなく死が訪れる

もしあなたが、医者に末期がんと診断され、余命2ヶ月と宣告されればどうでしょうか?

自分自身の気持ちは大きく揺れ、家族に動揺がはしり、重い雰囲気がのしかかることと思います。

でも考えてみれば、人は誰しも死ぬわけです。

それが、長いか?短いか?
2ヶ月後なのか?40年先なのか?という違いだけなのです。

人は必ず死を迎えるという大前提があり、また人間だけが死ぬということを知っている生き物であるということです。

2.娘さんが海外で瀕死の重傷

それは、一本の国際電話からでした。

キャビンアテンダントだった娘さんは、海外でオフを過ごす中、ジェットスキーで大けがをし意識不明の重体となります。

そして二川さんにすぐカタールへ来るようにとの電話が入ります。

現地に着かれ、見るに堪えない姿となった娘さんとの面会は、さぞ親として辛い、辛すぎる気持ちだったと察します。

しかしながら、会社の代表でもある二川さんは、異国の地にあっても会社のことも気になるし、また一方では娘さんの事態について悩んでもケガはよくならないとわかりわかっていながらも不安と葛藤は増すばかりです。

そんな中、日本に戻り会社に赴くと、いつもと変わらず元気に朝礼をする従業員の姿がありました。

二川さんは、そこで気づかれます
「目の前の現象に、自分が右往左往していてはダメだ。心の在り方が大切なんだ」

「気持ちがめげてしまってはいけない 明るく元気でなければ」と

生きている自分が、しっかりと地に足をつけ前向きに明るく生きていく大切さをこの時に実感されます。

3.必死に生き抜く父親の生き様

2代目でもある二川さんは、当時会社の初代社長である父親の判断や仕事の仕方と、時にして見解が食い違ったこともあったそうです。

しかし、父親は病気を患いペースメーカーを入れ、その後さらに病状が悪化し、いよいよといいう時に、声にならない声を上げて必死に生き抜こうとする姿に生きるということの意味を感じ取ります。

まさに、必死に生きようとする父親の姿から、生き様を学び、生きているだけで役をなしている影響力を与える存在を目指そうと思わたそうです。

4.自分のカラダも含め、すべて借り物である

よく言われる言葉ですが、死んでもお金はあの世まではもっていけないと。

そして同じように、自分のカラダもあの世までは持っていけません。

つまり、自分のカラダはお金や物質と同じように、自分のモノであって自分のモノでない・・・死という節目で肉体と心は離れざるを得ないという現実があります。

これは、生きている時には、カラダは心(気持ち)の指示で動きますが、死を境にそれはできなくなります。

そう考えると、自分の心は自分のモノであっても、カラダは死の瞬間から自分の意志が及ばなくなるので、ある意味「借り物」という解釈もうなずけます。

そして大事になってくるのが、その借り物を動かす大元(おおもと)は何か?ということです。

何でしょうか?

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それは、心(気持ち)なのです。

明るくあれば、幸運は引き寄せられます。
しかし、暗く愚痴や人の非難ばかりしていても、幸せはやってきません。

ウソでもいいから、明るく笑っていれば、心は変わり目の前の現実も変わっていくのです。

つまり、心がすべてを動かしてるといって過言ではないのです。

5.命の炎をもやして

火は細くても、種火でも再び再着火すれば、より大きくなる可能性はあるが、消えてしまってはそれまでである。

人の人生も、細くあったり時に又太くなったりと、又消えそうになっても周りから心の炎を分け与えてもらったりと様々です。

大事なのは、命の炎を消さないこと

消すことは死、人生での希望を完全に失った状態だと思います。

そして、二川さんは最後におっしゃってました

「命はいつ途切れるか?わからない そして元気だから長生きするのではない」

「生きる力に出し惜しみをしてはならない。自分の心は熱く燃えているか?」

「思っているだけでも変っていく その為に仲間(倫友)があり、人間は一人では、自分との約束は平気で破ってしまう」

「周りを救うだけで、自分も又救われる」

どれも深い言葉で、また痛すぎるぐらい気づきを本日も頂きました。


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