慢心

自分では、ないつもりであったが、この度の
様々な出来事(自身の4年ぶりの風邪、従業員が辞める、
酒米の収穫ができなかったこと)を考えてみた

すると自分は健康に留意しているので風邪などひかない
従業員など辞める訳がない

一昨年が3等米で
昨年が2等米、そして今年が1等米で刈り残した田圃の
米ももちろん一等米として収穫できるはずだ!
など気持のどこかに表題の言葉「慢心」があった・・・

この度おこった出来事の原因を考えるに、
突き詰めていくと責任は自分ではなく

他人、相手、天候、様々な条件など
自分に置かず他に置いていることがわかった

水車

自分に起こる、振りかかるすべてのことは
自分が撒いた種・・・

この実(結果)は何の種が撒かれたのだろう?
 誰が何と言おうとこの実(結果)は自分が撒いた種

1年前に、自身に最も影響を与え続ける方より
「自分に鉾先を向ける」ということを教わった

そして教わったその場でその方に
「わかったような気がします」といったら

「そんな簡単なものじゃないよ」と一蹴された

確かにわかったつもりであった・・・が、
「一年以上たった今も結局わかったいるつもりで、
できていないことに虚しさをおぼえる

「自分に鉾先を向ける」「因果に気づき受け入れる」
「取るか取らされるか?わからない責任、
取ると腹をくくった方がその勝負に勝つ」

改めて、できていない自分自身に気づく

現実はつらいが、これを受け入れて進むしかない
なぜならすべて自分が撒いた種、誰が何と言おうと
その実は自分がまいた種なんだから

年の瀬を迎え 成長する機会を与えて頂いた

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