ないもの探しより、あるもの探し

連日報道される
ウクライナの状況

戦争を否定し平和を
訴える

国内でも反戦の動きは
高まり、様々な動きも

あらためて戦争放棄

平和の尊さを
感じるわけです

私の関係する健康に
ついても同じように

ケガや病気をして、はじめて
その大切さを知るわけです

大事と分かっていながらも
その時にならないと感じない

ある時は当たり前で
失ってはじめてわかる

戦争と離れた内容で
本日はお伝えします

1.当たり前で薄れるありがたさ

水が出る

電気がつく

家でも職場でも
当たり前のこと

平和に慣れているだけでなく
当たり前にも慣れている

水が出るのが当たり前

電気がつくのが当たり前

断水や停電ではじめてわかる
その有難さ

やはりネガティブは
想像したくないというか

当たり前に慣れ過ぎて
大事な事を忘れています

2.探しものをする時、何というか?

私もよくありますが
探しもの

人は平均して探しものに

一ヶ月で76分
一年で912分(約15時間)

そして探すとき
「ない、ない」と言って

あちらこちらを見回します

何故「あるはずだ」と言って
探さないのでしょうか?

あるのは当たり前
ないのがおかしい

だから「ない ない」と

無意識に言ってしまうので
しょうか?

ここでも当たり前で
見過ごしている

あることに対し感謝の思いを
忘れてしまってます

3.当たり前に感謝をする

水が出る、電気がつく

こういうと変でしょうけど
当たり前に慣れ過ぎてます

コロナ禍でわかったことや
気づいたことも

またいつしか、時間が経てば
忘れてしまうでしょう

ただ、大切なの

平和でも、健康でも

もっと言えば、電気がつく
水が出る

当たり前に感謝しなければ
いけません

(岩国市錦町深川 河内神社)

本日28日ですが
2月の晦日詣で

どれだけ感謝の気持ちを
手を合わせ伝えれらるか

たった月に一回だけの
ことですが

当たり前に感謝できるよう
これからも行きたいものです


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