雙津峡(そうづきょう)温泉の名前の由来

9月になりました。

早いもので、今年もあと4ヶ月を切りました。
そして来年2020年は、東京オリンピックがありますが、当館(錦パレス)も、錦グリーンパレス時代から、ちょうど40年目の節目を迎えます。

節目を迎えるにあたり、当館とそして日帰り温泉施設の「元湯・憩の家」、この2施設を併せた、そうづ峡温泉(漢字で書くと雙津峡です)の名前の由来について述べさせて頂きます

1.そうづ峡という地名は地図上にはありません

えぇ~という感じでしょうが、そうづ峡という渓谷はありますが、そうづ峡という地図上の名前はのっていません。

そして、そうづ川という日本地理院の地図に書かれ出したのが、昭和の中期ごろからで、双津川や宗津川と統一されてないようです。

雙津峡という漢字をあてたのは、元湯憩の家ができる頃の昭和47年(1972年)となります。

2.何故、雙津(そうづ)峡と名前がついたのか?

温泉自体が発見され、村の町おこしに使おうとなったのが昭和43年(1968年)です。

そして昭和47年(1972年)に、雙津峡(そうづきょう)温泉「元湯・憩の家」ができました。

宗の字でもなく、双の字でもなく、雙を使ったのは温泉を発見した村の方々が相談の結果決めたそうですが、時代もながれインターネットが発達した現在、雙という文字が変換されなかったり、もともとが読めず検索で探そうにも読み方がわからなければ探しようがないので、今はひらがな表記としてます。

さて
その名前の由来ですが、そうづ川と宇佐川が交わるあたりに「米つき水車」があったことに起因します。

諸説ありますが、例えば添え水がなまってそうづと呼ばれたり、米やひえ、粟などをひく水車を添水唐臼(そうづからうす)と呼んだりしたとも言われてます。

私が一番、これだ!と思ったのも、以前に高知県の馬路村(うまじむら)温泉に行った時、すでに使ってない水車小屋に「そうづ」と書かれていたのを見た時、ほんと驚きました。

やはり、水の力で恩恵をその当時の人たちが受けてたように、今も清流と温泉で人々の健康や日常生活に潤いを与えられるよう、もう一度、名前の由来を感じ取り、改めてその役割がぶれないよう訪れた方に接していきたいと思ってます。


コメントは受け付けていません。